そうなの 又 難しい話です
あのー 難しいの嫌いな方はスルーしてください
でも 本音は少しだけでも読んで 頂たいなぁー
うーん なんだろう 何かしっくりこない世の中、、、
先ほど辞書を 見ていたら気がつきました
『 啐 啄 之 時 』(そつたくのとき)
これを見たときに あっ これが欠けているんだ
啐啄之時:鶏卵が孵化するとき 雛が殻の内で鳴いて
殻をつつくのを啐(そつ)といい 母鶏がそれに応じて殻をつつく事を
啄(たく)という
その両者が一致した時 雛は誕生する
禅宗で 学ぶ者と教える者の心が一致すること
学ぶ者の意欲に教える者がすばやく応じることをいう
*常用 墨場辞典(KK小学館) から 抜粋
私が知っているのは『啐啄同時』や『啐啄同一』で 意味は同じ
四文字熟語の本にはもう少し拡大解釈されていて
『学ぶ者がそれだけの知識を持ち合わせていなければ
教える者は教える事が 出来ない』
確か このように書いてあったと記憶している
自分が生活をしている中で 会社を含め物事は順調だ
が 一歩 別な空間をのぞいて見ると 歯車がかみ合っていなかったり
意見の食い違いや 聞き間違え 勘違い などなど
不協和音の要因があちらこちらに ばらまかれている
知識人(と呼ばれている人 認知されている人)が
自分の意見を発言するのは 大変喜ばしいことで 日本丸を
安全な方向に 舵取りをしてくれていると 思う
しかしながら 聞くほうがその『知識』を持ち合わせていなかったら
どうだろう
理解納得できる人間が 何割いるだろうか
逆に 話すほうは知識を持ち合わせていない者に
わかり易く 順を追って説明し 理解を求めなければ
何を話されているのか ちんぷんかんぷんの話に終わってしまう
先日書いた『沖縄問題』にしてもしかり
宮崎県の『口蹄疫(こうていえき)問題』もしかり
問題がなかなかすんなりと解決しない
トップの話が迅速に現場まで伝わらなければ 問題は解決しない
日本の政治システムなのか否か 私には判断が出来ないが
わかる事は 政策が後手になり大騒ぎをしているようにしか 見えない
『啐啄之時』 これは 禅宗だけの教えごとではなく
今の日本に必要な『バイブル』ではないか と思う
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